2020年オリンピックイヤーが始まりましたね。
※新型コロナの影響により2021年の延期になりました。
突然ですが実は聖火台が2つあることは皆さんはご存知でしょうか?
鋳物の街川口市で聖火台が製造されていたことはご存知とはおもいますが、川口市に聖火台が2つあることはあまり知られていないかもしれません。ではなぜ2つあるのか?もう1つは何なのか?レプリカ?1号作?
では見ていきましょう。
川口市に聖火台が2つ!
今から約50年以上前の1964年東京五輪、鋳物の街川口市で聖火台が製造されました。
実は川口市には聖火台が2つあるんですね、なぜ2つあるかといえば本当のところは1つ目は聖火台を作る鋳物製造工程の湯入れ(溶けた鉄を流し込む作業)の一番大事なそして鋳物士が1番緊張する危険な作業のときに、鋳型が熱膨張で爆発してしまい溶けた鉄が漏れ出し失敗してしまいました。
そして急いで2度目のチャレンジにより無事完成したと言われております。

2号作 JR川口駅東口
2号作2021年新国際競技場へ移動するまでキュポラ広場にあります。

1号作 川口市青木公園
1号作失敗し修正したのちレプリカとして青木公園に設置されています。
聖火台
聖火台の大きさは、直径2.1m、高さは2m位、重さは2.6トン
当時のキュポラ製造工法だとかなり巨大でリスクの伴う作業だったと伺えます。
1つはレプリカで1号作目だった?
50年以上前の東京五輪
経済成長に勢いを推して東京オリンピックが決定した当時、開催直前の数ヶ月前、納期はわずか3ヶ月しかなく本来なら8ヶ月はかかるはずの工程で、他の業者が受注を断るなか、割に合わない仕事を鋳物士の鈴木万之助さん文吾さん親子が損得勘定無しで引き受けました。
しかし、当時はあまりに巨大で難しく、作業は難航しましたが、2か月後に鋳型を完成させることができました。
突然の悲運
短納期のなか死に物狂いで、2か月後鋳型を完成させた鈴木親子、鋳物製造工程で一番肝となる鋳型に溶けた鉄を流し込む作業、「湯入れ作業」までにこぎつけます。
しかし、鋳型に湯を流し込んだ際、鋳型が熱膨張し爆発、ドロドロに溶けた鉄が流れ出し失敗してしまいました。
父親の万之助さんは心労とショックにより倒れ、数日後に亡くなったという
しかしその後、息子の文吾さんが仲間達と不眠不休の末、2週間後に2号目を完成させたということです。
これによって1号作は補修をほどこしレプリカとして川口市青木町公園に展示され、完成した2号作は国立競技場へ運ばれたのでした。
まとめ
いかがでしょうか
先人たちの命懸けの作業により完成した聖火台。
失敗したにもかかわらず、仲間達と力を合わせ困難に立ち向かう職人魂、まさに匠のオリンピック。
オリンピック裏側を支える人達の壮絶なドラマ
金メダル級ですよね。
2021年に開催が延期になったオリンピックもいろいろな場所で裏側の人達の支えがあり、それによって選手達が力を発揮することが出来る大会、開催国全国民が出場していると言っても過言ではないでしょう。
一生に一度の開催を体験する事になると思います
みなさんも一生に一度、来年のオリンピックを楽しんでくださいね。笑笑!(^^)!